小さい人との生活 ~失敗も含めてその子の人生~
コドモに関するお困りごとと言えば
たとえば、
●すぐダッコをせがむ
●食べたいものしか食べない
●人のおもちゃを横取りする
●宿題したくない
●忘れ物がひどい
●「このままだと
どこの高校(大学)も行けませんよ」
と担任に言われる
そんなことがあるたび、
そしてそれを自分が黙認するたび、
「わたしは甘やかしているのでは?」
「このままだと
ロクな人間にならないのでは?」
「ここは注意すべきなのでは?」
と、心は千々に乱れますよね。
が、わたしは声を大にして、
言いたい。
/
それ全部、全然ダイジョブでーーす!!
\
●ダッコばかりせがむ
→いつまでもダッコをせがみません
●食べたいものしか食べない
→ちゃんと栄養とれてます
●人のおもちゃを横取りする
→中学校になっても変わらないなら
またそのとき考えましょう
●宿題しない
→本人が必要を感じてないから大丈夫
●忘れ物ひどい
→本人が懲りるまで治りません
●進学できないかも
→自分の学力は本人が一番わかってるから
ほっときましょう
うちは息子2(現在二十歳)の我が強く、
●すぐ「ダッコしてー」と泣く
●勉強しない(できない)
●忘れ物ひどい
などなど、
「この子はこんなんで大丈夫だろうか」
とわたしもことあるごとに
不安になりました。(今でもだけど)
たいがい親の悩みは、
「コドモにはこうなってほしいのに、
なんでそうじゃないの?」
ってことに集約されますが、
そのほとんどが親のエゴちゃうかと。
わたしも、
「この子のため」
「この子がバカにされないように」
と本気で思って口うるさくやってたときも
ありました。
でもよく考えると本当は、
「自分が周りから
とやかく言われたくないから」
だったというw
わたしはちゃんとやってます、
わたしには常識があります、
という親せきや世間へのアピールが大きかった。
それに気がついたときはショックでしたねぇ。
我の強い息子を、
「自分や世間の理想の型」に
当てはめようと矯正することは、
わたしと息子の時間やエネルギーを
めっちゃ使うこと。
それは果たして本当に、
この子の幸せのためなんだろうか?
そしてそんなのは、
愛情なんだろうか?
あるとき、そう思いました。

確かに愛情の一種ではあるけれど、
わたしはそういう表現の仕方は
好きじゃない。
本人が望まないのに、
「できないことをできるようにする」
「やりたくないことをやらせようとする」
そんなことはお互い、
時間とエネルギーがめっちゃムダです。
それより、
その子を信じ肯定して、
自然にできることや
得意なことを伸ばしていった方が
いいのでは。
いびつさ込みで、その子。
平らに均してはその子ではなくなる。
自分が今まで、暮らしを通して教えたり、
アドバイスしたり、
見守ったりしてきたことに間違いはない、
と自分を信じたいのです。
自分を信じることも、
コドモを信じることも、
黙って見守ることも、
本当にこわいです。
もし何かあったとき、
誰かに
「だから言ったじゃない」と怒られたり、
バカにされたりする可能性、
そして自分でも、
「あのとき、ああすればよかった」
と激しく後悔する可能性がある。
だから親は、保護者は、
事前にできるだけの
「安全」
「たくさんの人が良しとする方法」
というセーフティネットを張っておきたい。
その気持ちはよくわかる。
でもそこで、
あえてセーフティネットを張らない、
口も手も出さない、という選択。
黙って見守る、という選択。
(あきらかに法を犯しているのでなければ)
それが吉と出るか
凶と出るかはわかりません。
子育てだけじゃなく、人生なんてそんなもん。
ならば、
自分の選択を信じることに
わたしは賭けたい。
失敗も含めてその子の人生。
失敗かどうかも考え方次第。
そこからまた、お互い学んでいけば
いいじゃないですか。
*:;;;:*:;;;:**:;;;:*:;;;:**:;;;:*:;;;:**:;;;:*:;;;:*
ふみさんの子育てトーク
小さい人との生活
*:;;;:*:;;;:**:;;;:*:;;;:**:;;;:*:;;;:**:;;;:*:;;;:*
きのしたふみさんもステキ女子
ファッションのお話もとても楽しいのですが
その他のお話も「ふむふむ」とうなずく内容がいっぱいつまってます
ぜひ、読んでみてください
カッコイイおばあちゃんになるための
45才からのファッションアドバイザー
きのしたふみさん
たとえば、
●すぐダッコをせがむ
●食べたいものしか食べない
●人のおもちゃを横取りする
●宿題したくない
●忘れ物がひどい
●「このままだと
どこの高校(大学)も行けませんよ」
と担任に言われる
そんなことがあるたび、
そしてそれを自分が黙認するたび、
「わたしは甘やかしているのでは?」
「このままだと
ロクな人間にならないのでは?」
「ここは注意すべきなのでは?」
と、心は千々に乱れますよね。
が、わたしは声を大にして、
言いたい。
/
それ全部、全然ダイジョブでーーす!!
\

●ダッコばかりせがむ
→いつまでもダッコをせがみません
●食べたいものしか食べない
→ちゃんと栄養とれてます
●人のおもちゃを横取りする
→中学校になっても変わらないなら
またそのとき考えましょう
●宿題しない
→本人が必要を感じてないから大丈夫
●忘れ物ひどい
→本人が懲りるまで治りません
●進学できないかも
→自分の学力は本人が一番わかってるから
ほっときましょう
うちは息子2(現在二十歳)の我が強く、
●すぐ「ダッコしてー」と泣く
●勉強しない(できない)
●忘れ物ひどい
などなど、
「この子はこんなんで大丈夫だろうか」
とわたしもことあるごとに
不安になりました。(今でもだけど)
たいがい親の悩みは、
「コドモにはこうなってほしいのに、
なんでそうじゃないの?」
ってことに集約されますが、
そのほとんどが親のエゴちゃうかと。
わたしも、
「この子のため」
「この子がバカにされないように」
と本気で思って口うるさくやってたときも
ありました。
でもよく考えると本当は、
「自分が周りから
とやかく言われたくないから」
だったというw
わたしはちゃんとやってます、
わたしには常識があります、
という親せきや世間へのアピールが大きかった。
それに気がついたときはショックでしたねぇ。
我の強い息子を、
「自分や世間の理想の型」に
当てはめようと矯正することは、
わたしと息子の時間やエネルギーを
めっちゃ使うこと。
それは果たして本当に、
この子の幸せのためなんだろうか?
そしてそんなのは、
愛情なんだろうか?
あるとき、そう思いました。

確かに愛情の一種ではあるけれど、
わたしはそういう表現の仕方は
好きじゃない。
本人が望まないのに、
「できないことをできるようにする」
「やりたくないことをやらせようとする」
そんなことはお互い、
時間とエネルギーがめっちゃムダです。
それより、
その子を信じ肯定して、
自然にできることや
得意なことを伸ばしていった方が
いいのでは。
いびつさ込みで、その子。
平らに均してはその子ではなくなる。
自分が今まで、暮らしを通して教えたり、
アドバイスしたり、
見守ったりしてきたことに間違いはない、
と自分を信じたいのです。
自分を信じることも、
コドモを信じることも、
黙って見守ることも、
本当にこわいです。
もし何かあったとき、
誰かに
「だから言ったじゃない」と怒られたり、
バカにされたりする可能性、
そして自分でも、
「あのとき、ああすればよかった」
と激しく後悔する可能性がある。
だから親は、保護者は、
事前にできるだけの
「安全」
「たくさんの人が良しとする方法」
というセーフティネットを張っておきたい。
その気持ちはよくわかる。
でもそこで、
あえてセーフティネットを張らない、
口も手も出さない、という選択。
黙って見守る、という選択。
(あきらかに法を犯しているのでなければ)
それが吉と出るか
凶と出るかはわかりません。
子育てだけじゃなく、人生なんてそんなもん。
ならば、
自分の選択を信じることに
わたしは賭けたい。
失敗も含めてその子の人生。
失敗かどうかも考え方次第。
そこからまた、お互い学んでいけば
いいじゃないですか。
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ふみさんの子育てトーク
小さい人との生活
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きのしたふみさんもステキ女子
ファッションのお話もとても楽しいのですが
その他のお話も「ふむふむ」とうなずく内容がいっぱいつまってます
ぜひ、読んでみてください
カッコイイおばあちゃんになるための
45才からのファッションアドバイザー
きのしたふみさん
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