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ラジオの後に、もう少し踏み込んで
聞いてみたくなったひーちゃんです
取材してきましたー。


2019.01.26【ゆるんLINEラジオ】
 ゲスト:シンガーソングライター JUN さん


ステキ女子「今だから好きなことにチャレンジJUNさん」


「同居、のべ17年間の自宅介護生活」

=自立=

JUNさんが親元を離れたのは、高校卒業時。
早く親元を離れたい意味合いもあり、京都の美大に進学。
進学と共に京都で 一人暮らしを始めた。




=その理由を尋ねると=

次兄が、小学校のいじめから徐々に 登校拒否になり、やがて親に暴力をふるい出した事。
高校時代は家を明るくする役割に徹していたものの、家族の形も変わりつつあった。

お父様は戦中、大学で助教授として教鞭を取る生活だったものの被曝で多くの教え子が若い命を落とした事で一念発起。戦後は後世に残るものを作りたいと起業。

お母様も学校の先生、お祖父様は軍人だったと伺うと想像でしかない、私の背筋もシャキンと伸びた。

しつけや教育に関してはかなり厳しかったようだ。

長男・次男の男兄弟がいて、末っ子長女のJUNさん

お父様にとっては、孫といってもおかしくない程 年の離れた女の子、
「私には甘かった」と微笑みながら話すJUNさんに私はとても共感し、父の優しさも思い出した。

しかし、家族というのはやはり、全体的な雰囲気を味わっているものなのか(?)

幼少のころに感じた、なんとなくの居心地の悪さや印象とはなかなか消えないもので、今思うとその引っかかりも、大したことはなのかもしれないが、そのときに受けた印象とは意外と大きいのか、避けれるものなら、避けておきたい…という感情がある


=基盤崩し=

大学を卒業後、大阪で就職
いくつかの会社でデザインを担当、
タオルやテキスタイル、モノの設計デザインなど幅広く活躍されていた

基盤は大阪におよそ20年

そんなJUNさんが
再び、ご両親と生活されるようになったのは、お母様が若年性認知症と診断され、お父様は、家事等するのは論外の世代。
誰かが看なけれならない状況になったからだ。

上のお兄様は当時 海外暮らし。
下のお兄様はお亡くなりになっていました。


=まさに『ゆるん』的な人生=

ご自身の仕事を整理して 家族と共に ご実家へ。
お父様の仕事にかける情熱をずっと聞かされ続けていたJUNさんは、同居と共に会社も継ぐことを決められた。

子どもはまだ小学生に上がった子と保育園児、一番手をかけたい年頃。
老いて不自由が増えていく、お父様からは通常生活では あり得ないような

「子どもと親、どっちが大切か!」と 哀しい問い。

仕事、介護、家事、睡眠時間もままならず、ストレスからカラダに変調も現れた。


=お父様の問い…=

年老いて死に近くその心境を、お父様は、わかっていながらも 辛く寂しく、残り少なくなった時間を私たちが想像するよりも貴重に感じ、大切にして欲しかったのだろう。

イギリスにも
「一度に二着の服は着れない」
と介護を例える諺があるそうだ。
その頃は全てが手いっぱいで余裕など到底、持てなかった

親の近くにいればいるで、いろいろな問題がそのままダイレクトにやってくる
しかし、離れて暮らす親へは看れないもどかしさや不憫さを感じるのも1つの苦痛になる

晩年 寝たきりのお母様と お父様と続く のべ17年間の介護生活を終えられ約4年が経とうとしている。



=今から、ここから=

今、JUNさんは主に弾き語りを中心に、朗読や歌、クラシックとライブを行ったりと音楽を楽しんでいる

幼少の頃から食事中はクラッシック音楽が流れる優雅な食卓

厳格な父親がドンと常に首席につき、静かな少し緊張した様子

その習慣から
介護中でも食事の時はヴァイオリンを奏で、「音楽のある生活を送ろう」とご両親への思いやりが感じられた

疎遠であった時期もある
しかし、ご両親の最期は幸せだったであろう

そしてJUNさん自身、悔いなく見送ることができた。

今の生活は?と伺うと
「子どものころに、やりたくてもできなかったことを1つづつやっている感じ」

ヴァイオリンにギター、ピアノなどを楽しみ
後回しにしていた歌にも取り組みを。
ご依頼あれば、そのセンスを活かした絵も描く。





『これはこうと決めつけることはしないの、間口を広くしてね~ いろいろなものをね~』
と話してくださったJUNさんの

ゆるん的ターニングポイントの一つひとつの選択には、優しさが溢れていた

⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒
あとがき
親の介護生活に少し足を踏み入れた私、
気が合わないことを親不孝と思う自分自身もいる。そして正直、優しく触れる(接する)ことができるのか自分に不安も残る

病院や介護関係とのやりとり、その辺りは得意なところで父に代わって動いていると母はいつも「ありがとう。久容がいてくれて助かった」と言ってくれる

毎日の見舞いは父が担当

今はどうか知らないが
母の病状がいちばんひどかった頃
目覚めでまだウトウトとしていると
誰かが、そっと手を握ってくれる。「優しい看護師さんだなぁ」と思っていたら兄が手を握っていたそうだ
もう何十年とそんな事はなく、そんなキャラでもない兄の行動に一同が驚き、
母も「この子、優しいんだ」と思ったらしい。そして、今は欠かさず週1でお見舞いに来てくれる

父にしても、兄にしても意外な優しさを知った。
今後もわからない事だらけで、不安のあることをJUNさんに話すと

意外と融通のきく行政の力を最大限に使うこと、沢山の人達を巻き込み頼り甘えること
1人で抱えこまないこと

と教えてくれた

父や兄のような優しさはないが、
得意のオーガナイズ役で母が快適に過ごせるように…と周りを巻き込んでいこう!

また、機会があれば
恵美さん同様、
私の介護、介助生活もご報告してみよう

JUNさんにも言ってくださった言葉、
私も何かのお役に立てれば幸いです


ひーちゃん


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